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自己否定
身近であって、あまり気にしてなかったものに、自己否定がある。
「口ぐせ」や「そうした性格」のようなものの一つで、指摘されるまで自分では気にしていない。
物事を途中で止めてしまう原因の出発点が、「自分にはできない」という思いがあり、一つの工程を乗り越えても、「その次は出来ない」という考えになる。
もう一つある、乗り越えるためにかかる「負荷がいつまで続くのか」という考え。
苦しみを、日常にできない。ニュートラルな状態に戻そうとする。
取り組む前には意気込むが、結果ニュートラルに戻る。
取り組むとき、失敗したパターンとして頭に浮かぶのは、「寝たら、次の日にモチベーションを維持する自信がない。」ということ。
それを、毎日クリアして、なにかのきっかけで、集中が途切れ止めてしまう。
何かをするということは、「苦しみ」だったのだが、自覚したことはなかった。
ただ、肉体と精神に「苦しい負荷」がかかって、それを体が無理やりでも「負荷をなくす」ことをしていたのだろう。
だとしたら、問題なのは、「負荷」であって、
「俺はできるんだ」と毎日となえる取り組みも失敗したのは、「できる」という成功より、本能的な「逃避」を選んでいたのだ。
とすると、「負荷」について考えていくことが、改善につながるかもしれない。
身に着けるというのは、「負荷を身に着ける」ということ。
マッサージを身に着ける、成功体験の一つだが、足掛かりにしないといけない。
一人で乗り越えたのではなく、みんなに教えてもらって、止めてしまうまでやりかたを聞いて聞いて、やってもらってだった、
見て盗めと激怒する人には嫌われたが、好かれる人には、丁度いい小間使いとして親身に教えてくれた。毎日その人達を揉んで、そして覚えた。
勉強熱心ということで、勉強会にも参加を許され、中国の文献から訳したものなど、覚えるものにも参加したが、フェイドアウトした。
続きはまた書こう。
南無 合掌