ブータンの幸せランキングが高く、日本の幸せランクが低いというブログの記事を読んだ。幸せに必要なのは、お金の多さではなく、欲を抑え、高望みしないことだそうだ。

ブータンでは、仏教の教えによって、欲を抑え、仕事もほどほどで、社会が寛容な心を持っているから、幸せランキングが上位だそうだ。

自分は、どうなのだろうか。与えられた環境で満足できるだろうか。というより、なにを望んでいるのだろうか。

仕事自体が、簡単で(今、自分でもできるくらいの)、期待されていることも少ない。

向上心や、なりたい自分になるための、努力も苦痛も、みじめさも、恐怖も、そもそも必要ありません。と言われたら。

なんだ、引きこもっていた自分の生活のことじゃないか。社会に参加してなかったことを除いて。そもそも自分はそれを望んでいたのではないか。

確かにそうなんだろう。だけども、追い込まれ、自分が卑怯者だと自覚した時に、救われた気持ちはなんなのだろうか。うまくいかない事を、理由を納得できた時の気持ちはどうだろうか。

うまくいかないことに目をつぶって、等身大(卑怯な自分)のまま生きるのは、幸せなことだろうか。

実際は、それが分かっても、目の前に現れる火に飛び込むことが、毎日難しい。

消えるまで焼かれ続ける火。

その火は、自分の弱さ。やるべきことから逃げる心。

幸せは痛みの先にあるのだろう。

 

南無 合掌